H・I・Sのキャンペーン企画で飛行機の隣の席に東京大学の女子学生が座ってくれ、得意分野について教えてくれるというキャンペーンを発表したら、ネットで批判を受け中止になったそうです。
これは女性蔑視ということなのでしょうね?
キャバクラみたいという批判を受けたようです。
まぁ非難されるのも分からなくもないですが、最近のこのネットで叩かれるという風潮はどうなのでしょう?
顔が見えないと言いやすいということはありますが、顔を見せない、名前を伏せてる状態で人を非難するのはいかがなものでしょう?
もちろんその方が権力や力のない人間でも発言できるという意味では必要なことなのでしょうが、逆に発言することにより力を持ってしまうということを認識しているのでしょうか?
今回のプロジェクトにどれくらいのお金を費やしたかは分かりませんが、多くのスタッフの労力や広告宣伝などの費用もかかっているのも事実です。
東京大学の女子学生も、このために多くの時間を費やして得意分野について喋れるように練習したかもしれません。
こうしたことが全て無に帰すわけです。
今回のケースとは少し違うかもしれませんが、週刊文春の記事で話題になった有名人の方々がいます。
報道の自由はもちろん大事でしょうが、世論を巻き込むようなやり方は個人的にはあまり好きではありません。
例えば、復活報道が出てきているベッキーの話や、バドミントンの田児選手、桃田選手の話。
ベッキーはテレビに出ていたイメージと違う不倫をしてしまったので、CMやレギュラー番組を全て降板しました。
バドミントンの田児選手、桃田選手はオリンピック代表候補から降ろされました。
もう直前に迫ったオリンピック代表になれるか、なれないかでは大きく人生が変わったはずです。
もちろんベッキーも然りです。
あとプロ野球の巨人の野球賭博問題もありました。
これも解雇という形でしたね。
報道一つで大きく人生が180度変わります。
そもそもこれらのケースって、そんなに大きな問題だったのでしょうか?
まず不倫の話ですが、倫理的にはもちろんダメです。
してはいけないことでしょう。
でも魅力的な男性はほとんど結婚しているでしょうし、世間が男性の浮気に対して比較的寛容的な見方をしている今の世の中で100%しないと言い切れる女性の方っているのでしょうか?
自分の好みの男性に言い寄られて、しかも金銭的にも余裕があって魅力的な相手なら尚更なのかなと。
浮気しないと公言している男性だって、とても魅力的な女性に言い寄られるとフラフラと気持ちはやはり揺らいでしまいますよ。
そういう意味では女性も男性も同じなのかなと。
そもそも、他人のプライバシーを本人の承諾なしで公開した人の方が悪いような気は今もしています。
逆に個人情報漏洩みたいな話にはならないもんなんですね?

次にバドミントンの両選手の話です。
闇カジノに出入りしていたということで取り上げられ、オリンピック代表候補を剥奪されました。
闇カジノだから反社会勢力の資金源になるからという理由なのでしょうが、そもそも日本という国は賭博に対して容認している国です。
競馬、競艇、競輪を始め、パチンコでも同様です。
公営ギャンブルは税収の一部になっています。
パチンコってそうじゃないですよね?
パチンコで換金するのなんて世の中の常識です。
でもこれは公営ギャンブルではありません。
仮にこのケース、競馬で1千万円負けていたら問題にならなかったのでしょうか?
闇カジノが問題?
金額が問題?
それともオリンピック代表候補だから品行方正でいろよという話だったのでしょうか?
代表候補から降ろす決定を下した組織委員の方々は、パチンコもしていなかったということなのですかね?
ちなみに私もパチンコはしませんが(笑)
最後の野球賭博の件です。
これは野球を職業としていて、その野球で賭博をしていた。
尚且つ、反社会勢力にお金が流れていたということなんですよね。
野球選手に限らず、勝負事で生きている選手って賭け事は好きなのですよね。
これが麻雀だったらどうだったんでしょう?
賭け金が100万、200万だったとしたら?
お金の価値観って人それぞれ違うはずなんです。
例えば、高島屋などの百貨店で外商から買い物する方々がいらっしゃいます。
ヤナセで現金で新車を購入する方もいます。
タワーマンションでも現金で購入する方がいます。
競馬場でも馬主席の窓口に行くと、10万単位、100万単位で馬券を購入していたりします。
こうした方々のお金の使い方と、私たち庶民のお金の使い方は全然違うわけですから比較しようとも思いません。
シマムラで買い物をしていて、30%OFFの値札シールを見てうれしくなる今の状況で十分です。
なのでいくら負けたとか、どういうところに出入りしていたかというのは比較しても仕方ないような気がします。
スポーツ選手の場合は土日はほとんど試合ですから、中央競馬など見に行けることもなかなかないでしょう。
昼間もほとんど練習していますから、公営ギャンブルのほとんどに行くことが出来ないかもしれません。
そうなると、練習後の空いている時間でたっぷりと遊べるところということでこうなるのでしょう。
この辺りを全面的に禁止するなら、公営ギャンブルはもちろん、パチンコ屋さんも摘発すべきでしょう。
やらないなら一層のこと闇ではないカジノを認可すればいいのではないでしょうか?
カジノを作ることによって、観光客も増え、雇用も生まれ、税収も増えます。
都会のど真ん中に作る必要もありませんから、空き地や埋立地などにホテル建築して開催してもいいんじゃないでしょうか?
カジノだけでなく、いろいろな施策に反対意見は存在します。
治安が悪くなるとか、子どもに悪影響がとか。
何でもそうですが反対意見を言うなら、その施策に代わる案を出すべきだと思います。
例えばカジノで税収を増やさなくても、こうした形で税収は増やすことができるとか、街の活性化はこういうやり方でできるとかです。
私たち日本人はディベードが苦手です。
ディベードとは討論です。
そういう訓練を学校で受けていませんから、徹底的に話し合う。議論を交わし合うということに慣れていません。
すぐ多数決に委ねてしまいます。
でもこの多数決が一番日本の国をダメにしているような気がします。
周りの聴衆に流される。
会社で議論していても、流れに任せてしまう。
学校教育では協調性を求められます。
当然協調性は必要ですが、そうなると個はなくなります。
組織の中では個は必要ないかもしれません。
でも一歩組織の外に出ると個がないと生き残ってはいけません。
終身雇用ではなくなった日本の国では、そうした生き方が正解ではなくなってきています。
争い事はダメなことなんだよと教えられ、学校の通知簿でも数字で評価されなくなり、成績の順番も貼り出されず、徒競走ですらおかしいと批判された時代もあり、友だちを呼び捨てにするなという教育もなされ、これはある意味社会主義への誘導なのではと思ったりもします。
平等な社会を作るというのはもちろん理想でしょう。
ただ、頑張っても頑張らなくても同じ評価なら誰も頑張らなくなってしまいます。
前に立つと非難されるのなら、誰も前に立たなくなります。
高い位置での平等などあり得ないので、低い位置で皆平等。
これでいいのでしょうか?
頑張った人は頑張ったなりに成果がある。
これが本来の平等ではないのでしょうか?
日本の税制は累進課税になっています。
頑張れば頑張るほど税金を納めることになります。
逆にこれは不平等なのではと思ったりもします。
多くの税金を納めたらいざという時に救急車が早く来るとか、警察が瞬時に飛んで来てくれるという特典があるわけではありません。
選挙権が増えるわけでもありません。
これからどんどん高齢者は増えます。
若者はあまり選挙に行きません。
高齢者に有利になる政策を発言した政党が主権を握り、高齢者主体の政策が実施されます。
税金をあまり納めていない人が、血税を無駄遣いしてと言います。
国民一人当たりどれくらいの税金で生活出来ているか、きっちりと示すべきではないでしょうか?
消防、警察、救急、医療費、教育費そして、きれいに整備された道路。全て税金で賄われています。
税金を支払っていない人は義務を果たしていないから、権利を主張してはいけないように思うのですが、これは暴論になってしまうのでしょうね。
同じく、ベッキーの話にしても、バドミントンの2人、野球賭博の選手にしても第三者が意見を言うのは間違えているように思います。
自分の家庭の話に他人に首を突っ込まれているのと同じですから、気分は良くないと思うのです。
他人を批判するのは簡単ですが、出来れば批判せずに生きれるような生き方がしたいです。
人間誰にでも過ちはありますし、過ちを犯して初めて気付くこともあります。
失敗は成功の母です。
なので、他人の過ちも出来る限り受け止めましょうね。
いや、笑って受け流しましょうね(笑)
その方が楽しいでしょ。