『子は親の鏡』
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と言います。
いいことも悪いことも親の姿を見て育ちます。
自分の子どもが
『行儀の悪い子』
『口の悪い子』
『暴力的な子』
『落ち着きのない子』
とかでも決して悲観してはいけません。
たぶん自分も同じなんです。
今の自分と同じかもしれませんし、幼少期の自分と同じかもしれません。
昨日うちの2歳半の女の子に怒られました。
『ダメでしょ。ネンネしてるからダメ。あっち行って』
寝ていた生後1ヶ月の娘に近づいた時のことです。
怒り方も仕草も喋り口調もママそっくりです。
あまりに似ていて笑ってしまったくらいです。
起こっている時の眉間のシワまでも。
自分が母親に怒られた時と同じことをここぞとばかりに私にぶつけてきたのだと思います。(笑)
よく見ていますね。
小さい子どもにとっては、私たち親が唯一無二の見本です。
立っちするのも歩くのも言葉を覚えるのも。
悪戯したり友だちにいけずしたり、友だちにおもちゃを貸してあげたりやさしくしていたり。
うちの2歳半の娘は毎日姿鏡で服装と髪型をチェックします。
おもちゃのドライヤーで髪の毛を乾かす真似をします。
これもママの真似です。
お外に出かける時には赤ちゃんの人形をおもちゃのベビーカーに乗せて出かけます。
抱っこ紐で赤ちゃんの人形をあやしている時もあります。
よく喋りよく笑うのもママ譲りなのでしょう。
世間では幼児虐待のニュースが絶えません。
もちろん自分に余裕のない時は子どもの行動にイライラすることもあります。
言うこと聞かなくて怒ってしまうこともあります。
食べ物をこぼしたり迷子になって怒ってしまうこともあります。
でも多分自分も同じように母親に迷惑をかけていたでしょうし、もっと言うことを聞かない子どもだったかもしれません。
虐待する親って自分も虐待されていたから子どもにも同じことをしてしまうのでしょうか?
それとも自分は甘く育てられて、そのことに気づかず育ったため虐待してしまうのでしょうか?
殺人者の気持ちが分からない、犯罪者の気持ちが分からないのと同じで、虐待する気持ちが分からない私が語るのは間違えているのかもしれません。
でも自分がされたから他人に同じことをすることは人としてどうなんでしょう。
自分がされた嫌なことを他人に同じようにしてしまうことが、その時に抱いた自分の嫌悪感すら否定することになることに気づかないのでしょうか?
自分が甘やかされて育ったことに感謝することすらできなかった自分に嫌悪感を抱かないのでしょうか?
何か悲しいですよね。
私にはそういったことを感じさせてくれる家族がいて、気づかせてくれる友人がいました。
恵まれていたのでしょうね。
自分の親って自分に対して無償の愛をくれる唯一無二の存在です。
その親にすら愛してもらえなかった子どもの気持ちは計り知れない絶望感だと思います。
自分の子どもにすら愛情を注げない人間が、他人に愛されたいと思うことは罪ではないのですか?
何か宗教的?哲学的?
になってきましたね・・
あらためて
思うようにならないからこそ人生って面白いのではないでしょうかね?
何もかも自分の思うように人生が動いてしまうと、それはクリアしたゲームを何回も何回も繰り返すのと同じで。
何度も読み終わった漫画を毎日読み続けるのと同じで。
面白くなくないですか?
子どもって自分の思うようにならなくて当たり前。
自分の真似をしてくる自分の子どもが愛らしく感じないのでしょうかね。
悪態をつくのも集中力が散漫なのも、テレビにかじりついて見ているのも、ゲームばっかりして勉強しないのも、ひょっとして自分のせいかもしれません。
自分が家の中で携帯ばっかりいじってるとゲームばっかりしている子どもに成長したり、家庭でお母さんがお父さんの悪口ばっかり言っていると子どももお父さんのことを好きになれないでしょうし、
『パパ嫌い』
って言われちゃいます。
『子どもに自分の背中を見せて生きていく。』
すごく大切なことです。
愛情に溢れた家庭に育った子は愛情に溢れた子どもに成長します。
規則正しい生活を送る家庭に生まれた子は規則正しい生活を送れる子どもに成長します。
悪口を言わない家庭に育った子は他人の悪口を言わない子どもに育ちます。
子どもの将来を左右するのはいつもそばに居てるお母さん、お父さんです。
この歳になってやっと。
母親に感謝します。
今更ながら僕に無償の愛をくれていたことを感じ取れています。
でも恥ずかしくてそんなことは母親に言うことはないでしょうが。(笑)
父親は自分に生き方というものを示してくれました。
今でも自分が死ぬまでに父親を超えたいと思って頑張っています。
こんな愛情を与えてくれていた両親に感謝するとともに、自分が自分の両親のように子どもたちに道を示してあげれる生き方をしたいなとあらためて思いました。
死ぬまでにできるかな?
まだあと20年くらいは死なないだろうからそれまでにはできるかな?
自分の死に際を考えるようになったということはもういいおっさんですね。
いつまでもまだ若いと思っていた自分がもうすぐ48歳です。
あと20年なのか30年なのか、はたまた10年なのか分かりませんが、自分が死んだときに子どもに泣いてもらえるような人生でありたいですよね。
自分の友人や知り合いに泣いてもらえるような人生を全うしたいですよね。
男は生き様ではなく死に様です。
自分が死んだ時に流してもらった涙の数が自分の人生の履歴書です。
かっこいい履歴書で終わりたいですよね。
今までの人生、たくさんのことを勉強させてもらいました。
人から何かを学ぶだけの人生でした。
折り返した自分の人生、これからは誰かに何かを与えれるような人生にできればいいなと思います。
さぁもう一度ギアを入れ替えて頑張りますか。
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