私が不動産業界に入ってもう25年になります。
早いもんですね。

四半世紀です。
今日産まれた赤ちゃんでも25年経てば結婚して子供も出産しているかもしれません。
そんな長い年月この仕事に従事していると考えると頑張ってきたのかなと少し感慨深くなります。

今日はなぜ、私がこの仕事を選んだのかというところまで遡ってお話ししますね。
うちの実家はおじいちゃんの代からゴムの加工業をしていました。
自営業です。
私が小さい頃は自宅の下が工場でした。
木造二階建ての借家。
店舗付き住宅ですね。
私が小学校に上がるくらいまでは自宅にお風呂もなく銭湯通いしていました。
そんな生活が普通だったのですが、小学校に上がり友達ができると友達の自宅に遊びに行くこともしょっちゅうで、そんな友達の家は立派な家で、工場から出る削りカスにまみれた家ではありませんでした。
そりゃそうですよね。
友達のお父さんは工場を経営しているわけでもなくサラリーマンですし、その当時はお母さんはほとんど専業主婦です。
家もきれいし、おやつまで出してくれる。
まだ小さな子供でしたから世間のことなど何も分からず、ただただ羨ましいだけでした。
ある日学校で父親参観があって、珍しく父親が来てくれたのですが、作業服のまま参観に来ました。
他のお父さんはと言えばスーツ姿か私服姿です。
そんな父親を見て私が言った言葉は
『作業服で来んといて。恥ずかしいから。』
今考えると何て言葉を言ってしまったのでしょ。
父親にとってその仕事は家族を養う大切な仕事であって、一生懸命誇りを持ってやっていた仕事です。
その仕事の合間にバカな息子の授業参観に参加してくれたのに・・・

そこから何年か経ちまた授業参観の機会がやってきました。
次に父親が来てくれた時はスーツ姿でした。
ただそのスーツが黒のストライプのスーツで先の尖った革靴を履いて・・
またそこでバカな息子は
『ヤ◯ザみたいな格好で来て恥ずかしい。もう来んといて。』
前回のことがあるので父親は頑張ってくれたんでしょう。
ただその当時の人からすると、身長も180cmあってガタイもよかった父親がそんな格好をするともうそちらの本職の人にしか見えませんでしたから・・・

内気で自分に自信が持てなかった少年は何かと他人のせいにするダメな少年でした。
古い借家の家と家業が劣等感でした。
なので家業を継ぐつもりは一切なく、大人になったらスーツを着る仕事をしようと決めていました。
スーツ姿のお父さんが格好良く見えていたのですよね。
家業を継ぐのが嫌で何となく高校に進学し、そこでも家業を継ぐのが嫌で大学に進みました。
勉強ができた方でもなく、ただ就職が嫌だったから進んだ大学です。
今から考えるとクソ息子です。
何の意義も意思もなく通っていた大学生活、そこで学んだことなど1ミリもありません。
そんな息子の学費を、一生懸命家業を頑張って通わせてくれた両親に今さらながら感謝します。
自分が父親になり逆の立場にならないと気づけなかったバカ息子に大学生活の終わりが近づきます。
就活です。
就職と言っても、スーツ姿の仕事しかイメージがないのでどんな会社に就職すればいいのかも分かりません。
会社案内をいろいろ取り寄せますが全くイメージが湧きません。
見るのは給料がいくらなの?
本社、勤務地はどこなの?
どんな仕事をするの?
このくらいしか見ていませんでした。
大学の時の友人は金融機関に応募を出したり、アパレルメーカーに応募を出したり、自分のイメージする就職像に沿った就活を始めます。
『うちの会社の志望動機は?』
こんな質問に対して明確な回答すら出せません。
『大学も卒業するので働かなくてはいけないでしょ?』
これが本音であり、これがその時の私の全てでした。
今で言うエントリーシートに記入する言葉にも窮する状態でしたから・・・
そんな状態でも世の中は就職天国、友人も2つ、3つ内定をもらって来ます。
私はまず志望動機を見つけるところからです。
そこで閃いたのが家に対する劣等感でした。
これ使える!
『うちの会社の志望動機は?』
『はい。私は小さい頃から生まれ育った自宅が古くてボロくて。それがとても恥ずかしくて常に劣等感を抱いていました。大人になったら、頑張って働いて立派な家を建てよう。25歳までに自分の家を建てたい。そう思っていました。これからの自分がどうしていくのが一番いいのかと考えた時に、自分が欲しい家を建てている(売っている)会社に入社するのがいいんじゃないかと考え、御社に応募しました。』
スラスラと言葉が出てきました。
この調子で面接に挑み数社の内定をいただきました。
で、選んだのが最初に就職した不動産会社です。
その会社は業歴もまだ浅く、若い社員が多い会社でした。
従業員数も30名ほどの就活で探すには小さな部類の会社でした。
神戸に生まれ育った私に縁もゆかりもない門真市の会社でした。
決め手は私が二次面接に行った時にたまたま面接官がいなく社長直々に面接してくれたこと。
そしてその社長が言ってくれた一言です。
『君は笑顔がとっても素敵だ。お客様にとってもその笑顔はとても感じがいい。それだけで十分自信を持っていい。だからうちに来なさい。』
社長と呼ばれる人とほとんど接点のなかった私はその言葉に感動し、すぐに
『はい。お世話になります。』
と即答し、その会社にお世話になることを決めました。
それが不動産業界の始まりです。
動機、きっかけはつまらないものでしたが、そんな世界にもう25年、どっぷりと浸かっています。
途中からこの業界で成功するまで絶対に不動産屋はやめないと誓って、こんなに長くなりました。
いつ成功するのでしょ?(笑)

ところで、25歳で家を建てるという話どうなったか気になります?
25歳では無理でしたが30歳の時に家を購入しました。
その家は離婚した時に手放しましたが・・

その時の私って今のような知識も経験もなく不動産で儲けるどころか大損をこいて手放しました。
でもその後また、今度はマンションを購入して今また売却しようとしています。
今度は知識も経験もしっかり積んだ後なのでしっかりと前の分も取り返したいと思っていますが。(笑)
実は、その売却で浮いたお金で次は3回目のマイホームを目論んでいます。
家は3軒目でようやく納得いく家が建てれると言います。
次でマイホームは3軒目なので、今度が集大成です。
店舗付き住宅にし、自宅に居ながら仕事をできる環境を整えようと思っています。
またうまくその話が進みそうになれば逐一報告しますね。

よく天職とか言いますが、私にとって今やっとこの仕事が天職なんだなと実感できています。
まだまだ勉強することもたくさんありますが、誰が見ても成功したと言わせるまでやめれませんから。

そこでふと。
何が成功なんだろ?
会社を大きくすること?
お金をたくさん持っていること?
名誉?
んー。
基準がないので多分いつまでもこの仕事を続けてるのでしょうね。
上には上がいますし。

やっぱりそれなりでいいです。
美味しいものを食べたい時に食べれて、住むところに困らず、愛する家族と一緒にいれれば。
それならば今できているので、後は継続させていくことですよね。

あと20年こんな暮らしができれば安らかに永眠できるので、それまではみなさん仕事を発注してくださいね。(笑)

それではあと20年、よろしくお願いします。