私は不動産屋さんに向いていないなと常日頃言っていました。

営業していた頃から私よりうまくしゃべる営業マンはいましたし、営業成績ではどうしても勝てない同僚もいました。

不動産屋さんの営業成績って基本売上ベースです。
今は違う評価の仕方も増えてきているようですが、私の若い時代は売上最重視の時代でした。
不動産売買なら仲介手数料、売主さん直の契約であれば両手数料です。
賃貸仲介ならお客さんからの手数料と家主からの広告料(今は広告宣伝費やら、業務委託料など様々な呼び名をしていますが)になります。
その他にも火災保険料や賃貸保証料のバック、ハウスクリーニングや鍵交換代なども売上に反映されることもあります。

つまり売買なら、契約本数が同じでも両手数料の契約が多い方が、賃貸なら家主さんからの広告料が多い物件を数多く決めた営業マンの方が売上は大きくなり業績もよくなります。

営業力のある営業マンほど、そうした手数料の大きい物件へ誘導することが上手く、売上を伸ばすことができます。

私自身元々自分の給料にはそんなに固執していなかったので、売上にはあまり興味はありませんでした。
それよりも契約率というものを重視して仕事をしていました。

来店したお客さんに対して、どれだけ契約ができたかというのが契約率です。

じゃあ契約本数では一番だったの?

うーん。
残念ながらそうではなかったのです。

というのも、不動産営業ってどのお客様でも同じ接客時間で終わるわけではありません。

1時間の応対で申込みいただく場合もありますし、何日も案内してやっと決まるケース、売買なら1年、2年越しで申込みいただくケースもあります。

私の場合一人一人の接客に時間がかかってしまうため、多くのお客様と接客することができません。

このスタイルは今でも変わっていません。
1日に2組も接客するとフラフラになっています。
お客様の求めていること、考えていることを一生懸命汲み取ろうとすると集中して話を聞きますし、自分の伝えたいことを一生懸命話しているととても体力と精神力を消耗します。

なので数多くのお客様と接客できないタイプなので、いくら契約率を高くしても契約本数や売上では勝てない相手がその当時何人もいました。

『もっと手際よくいかないとダメだよ。』
『申込みが終わったらとっとと帰ってもらわなくちゃ、次のお客さんも待ってるんだからもったいないよ。』
『ちゃんとバックの出る物件を決めろよ。』
とか、賃貸仲介会社に勤めていた当時の店長によく怒られたことを思い出します。

そりゃ店を仕切っている立場からするとそうですよね。

今になればその店長さんたちの気持ちは何となく分かります。

でもその当時は
『一生懸命接客していて、何で文句言われなくちゃいけないんだ。』
とか、
『時間かけてでもしっかり申込みもらってるからいいじゃないか。』
と不満を口にしていました。

うっとおしいですよね、こんな部下。

怒られようが怒鳴られようがこれが自分のスタイルだったので貫いてきましたし、今でもそのスタイルは変わっていません。

使えないですよね、こんな部下。

はい。ちゃんと分かっていますよ。

だから、今自分で、自分のやりたいように、自分の会社でやらせてもらっています。(笑)

私はこの世界に入る前、他人としゃべることは得意ではありませんでした。
どちらかというと苦手でした。

高校時代の友人にその当時言われたことですが、
『お前が他人としゃべることでご飯を食べていけてることが不思議だよね。』
学生時代友人ともあまり積極的に自分から話しかけるタイプではなかったので、社会に出たときにとても苦労しました。

でも初めて就職した会社で先輩に言われた言葉。これが人生の転機でした。
『きみは何のコネもなく、何の実力もなく就職してきた。だから営業職なんだ。』
『営業職は人としゃべる仕事だ。しゃべらないと営業すらできない。営業ができなければもうきみは社会では生きていけない。』
と。
コネって言っていたところがその当時の時代背景を表していますし、これができないと社会の落伍者だというような表現は今の時代上司がすることなどないでしょうが。

実家の神戸から大阪の枚方市の社宅に引越しし、辞める時は負け犬として神戸に帰るときだと思って出てきた自分にはショックな言葉でした。

『しゃべらなきゃダメだ。』
元々しゃべることが得意じゃなかった自分が思いついたこと。
不動産屋さんだったので、とにかく物件の情報を頭に叩き込むこと。
駅や小学校、中学校、スーパーなど周辺環境の情報を入手すること。
建築、不動産の本を読みあさり、とにかく知識を身につけることでした。

しゃべりを磨くことではなく、しゃべる材料をたくさん作ること。 
これが自分にできた精一杯の努力でした。

賃貸の営業をしていた時は、ひたすら物件を見に行きました。
毎日仕事が終わってから、同期の友人(今は彼も独立開業して頑張っている社長です。)と夜遅くまで物件を見て回りました。
二人で営業の練習をしていたこともありました。
交互に営業マンとお客様役を繰り返したりして。

不得意だったからこそ、努力しなければ人並みになれませんでした。

でもその時努力していたからこそ、今の自分があるのだと思っています。

最初から器用に他人と話ができていたなら、きっと今の自分はなかったでしょう。

何が功をそうするか分かりませんよね。

向いてないと思っていた不動産業でもう25年もメシを食えています。

あと25年くらいは同じようなことをしていくのでしょう。
カラダが元気で、生きていれば。

よく天職とか言いますが、天職って自分で決めるものではなく他人が判断してくれるべきものなような気がします。

私に関わった全ての人に、
『大西くんの天職は不動産屋さんだね。』
と言われるように頑張りたいと思います。
自分で天職と思っていない仕事で他人から天職だよと言われるって格好よくないですか?(笑)


他人としゃべることが苦手だった人間が、いつの間にか人としゃべることが楽しく、それが生き甲斐だと思えるようになりました。

人って変われるものですよね。
誰でも変わることはできます。
そして明日から、今からでも変わることはできます。
人生、頑張っていれば何とかなりますよ。

そして頑張っていれば必ず結果はついてきます。

まだ自分自身、何も成し得てはいないですが、必ず自分自身が思い描いた結果、夢をつかむまで努力し続けていきます。

もういい歳のおっさんなんですけどね。(笑)

さぁ、今年も残りわずか。
あと一踏ん張りですね。