あれからもう21年経つんですね。
阪神大震災、あの時に本来なら命を落としていたかもしれません。
私の実家は神戸市長田区にありました。
震災の時ももちろん長田区に住んでいました。
ただ、私は学校を卒業して不動産会社で働きだしていたためその当時は大阪市旭区に住んでいました。
その旭区の賃貸マンションは一階の部屋で、日当たりが全くない真っ暗な部屋でしたが、早朝に大きな『ドーン』という音とマンションが倒壊するのではと思うほどの大きな揺れで目覚めました。
寝起きの私は、マンションに大型トラックが居眠り運転か何かで突っ込んできたと思い、一言怒鳴ってやろうと外に飛び出ました。
すると当然そこにはトラックなどなく、近隣の住民が同じように飛び起きているだけでした。
そこで地震だと聞かされ、今まで味わったことのない大きさだったので急いで部屋に戻ってテレビをつけたことを覚えています。
テレビで流されているニュースは凄惨たるものでした。
次々と流れてくるひどい状況。高速道路が倒壊している。
火災が次々と広がっている‥
その中心が神戸市ということで、急いで実家に電話しましたが繋がるわけもなく。
まだサラリーマンだった私はとりあえず着替えて出社し、その日の休暇を願い出て車で実家のある神戸に向かいました。
その道中で見た凄惨な光景は今でも瞼に焼き付いて消えません。
倒壊している高速道路
至る所で地面が割れ、水道管が破裂し道路は水浸し、そこら中で火の手が上がり、車は大渋滞。
立ち寄ったコンビニには商品はほとんど何もなく、それでも多くの人がお店で数少ない商品を求めていくような状況でした。
道路も途中通れなくなっていることもほとんどで、迂回に次ぐ迂回です。
その途中で、銀行は倒壊しているし、病院も一階の駐車場部分がなくなり、中の様子が心配でならない状況ですし、多くのお店は荒らされ商品が強奪されたりという風景を目撃しました。
それよりも自分の両親が心配だった私は脇目もふらずにひたすら実家に向けて車を走らすのですが、走りません。進みません。
1時間で100mも進まない時もありました。
実家付近に辿り着いたのはほぼ丸一日経った後でした。
夜が明け、というか、西の空は来る途中ずっと赤かったのであまり夜が明けたという印象はなかったかもしれません。
実家付近に着いたときには、もっと凄惨な光景が広がっていました。
そこにはあったはずの建物がなく、見覚えのある景色が全くありません。
この辺が実家のはずだけどそれさえも分からないくらい景色が変わっています。
周り一面焼け野原です。
22年生まれ育った場所が分からないくらい凄惨な光景でした。
その場で立ち尽くしたまま涙が止まりませんでした。
人前で大きくなってから泣いたのは初めてだったかもしれません。
それくらい衝撃でした。
しばらくそのまま立ち尽くしていると、自分の背後から声がしました。
『まさあきー』
私の名前です。
亡くなった父の声が聞こえてきたのかと思い、そのまま振り向かずに聞いていますとまた
『まさあきー。』
という声が。
今度は『何しとーねん?』と。
あれっと思って振り向くと、そこには父が立っていました。
しかも、笑いながら。
『友達が蟹持ってきてくれたから鍋してるねんけど食べるか』と。
よく見たら少し離れたとこでドラム缶で鍋を炊いていました‥
『家がない‥』
と私が言うと、
『あるやん。そこに』
指差した先を見ると、確かにうちの汚い実家が残っていました。
カステラの残り切れのように。
聞くと、家の裏の工事現場にあったユンボで倒れくる火の粉と建物をユンボで避けていたそうです。
でも、前の路地を挟んだ民家は全て全焼していました。
多くのご近所さんはそのまま亡くなってしまいました。
うちの家も萌え尽くされてはいませんでしたが、何しろ古いボロボロの建物だったので屋根は抜け、床は落ち、倒壊寸前でした。
でも父は笑っていました。
泣きじゃくっている私に心配をかけさせないでおこうとしたのかもしれません。
父はもうこの世にはいませんが、地震の後も10数年生きました。
自宅と共にやっていた工場も震災にあい、何もかも失くしたところからもう一度同じように仕事を頑張りました。
あのエネルギーが自分にもあるのでしょうか?
同じ目にあったときに、同じようにもう一度再起できるのでしょうか?
地震という大きな災害では、人の命だけでなく、生活全てを一瞬で奪い去ります。
今まで築き上げたものも一瞬で吹き飛びます。
阪神大震災だけでなく、東北の地震、津波に遭われた方も一瞬で生活の全てを奪われました。
今自分の身にこういった災害が起こったら?
どうすればいいのかさえ分かりません。
父も母やおばあちゃん、妹などがいてたので頑張れたのかもしれません。
一人の身ならそのまま諦めていたのかもしれません。
頼りない息子だったからこそ頑張ったのかもしれません。
震災って他人事じゃないのですよね。
いつ自分の身に降りかかってくるか分かりません。
そうなったときに自分が何ができるか?
そうなったとしても大丈夫なような生活を作れるか?
それがテーマです。
不動産投資ではリスク分散という言葉がよく使われます。
最近では震災リスクに備えて、大阪や東京だけでなく、地方都市にも不動産を所有する投資家さんも増えてきました。
同じ地域にしか持っていないと、いざという時に全てを失ってしまう可能性もありますよね。
外国人の投資家さんはほとんどそういったリスク分散をします。
日本でもこれからは当たり前になるかもしれません。
その前にまず一棟、まず一軒所有しないと始まりませんが。
地震保険というものがクローズアップされたのもこの震災後ですね。
それまでは地震保険に入らないと、地震が原因の火災の場合火災保険では下りないという認識はほとんどの人がお持ちでなかったです。
この後の報道で地震保険がクローズアップされました。
今ではみなさんご存知の見解ですね。
毎年この時期になると地震のことを思い出します。
そういえばその当時、神戸の地価が大きく下落しました。
住宅ローンを残したまま建物がなくなった訳ですから、多くの物件が売りに出され、購入者もほとんどおらず驚くほどに不動産価格が下落しました。
その後数年で元の相場に戻るのですが、震災=商売に結びつける、震災の被害者を商売に結びつける。
こういったことも社会問題になっていました。
倒壊した商店から商品を略奪するとか、壊れた屋根瓦にブルーシートをかけるだけで100万円取られたとか、ひどい話も多かったです。
夜間になれば外国人がうろつき、倒壊した家から金目のものを盗み出したとか、レイプ被害も後を絶たなかったとかいう話もよく聞きました。
これは外国人だけの話ではないと思うのですが、悪いことをする人間は24時間悪いことを考えている。
悪いことを防ごうとしている人間は、仕事中だけ考えている。
だから、防犯対策は追いつかないんだと防犯対策のセミナーで聞いたことがあります。
世の中から犯罪をなくすためにはどうすればいいのですかね?
犯罪は別にしても、震災からの予防はしておく必要はありますね。
収益物件をお持ちのお客様、加入している保険をもう一度きちんと見直しておくことをお勧めいたします。
火災や地震だけでなく、火災保険の種類によっては水漏れや、イタズラ、窃盗などに対してきちんと担保できているかを確認しておいてください。
いざという時に下りない保険なら入っている意味が全くありませんからね。
当社では損害保険の代理店もしております。
保険の内容についてご相談いただければ適切な保険に切り替えるアドバイスもさせていただきます。
万一という時に備えて、お手持ちの不動産には保険のご加入を。